日高山脈南方の麓からHidaka Mountains
「メカ好きの少年期を過ごした元代表・加藤明浩さん」
今回は、コスモアグリの設立から軌道に乗るまでご尽力された、元代表の加藤明浩さん(65歳)にお話を伺いました。
加藤さんは生まれも育ちも生粋の大樹町、「大樹っ子」です。 スポーツ経験も豊富で、小学生では柔道、中学生では軟式テニス、高校生ではバスケットボールと、武道から個人競技、集団競技まで広く浅く経験されたそうです。
それぞれのスポーツにやりがいや楽しみがあったそうですが、小学生の時から変わらず一貫している趣味があります。それは、プラモデル制作とラジコン遊びです。
当時のプラモデルといえば、デフギア(ディファレンシャル・ギア)を内蔵し、リアルな旋回操作を楽しめるスポーツカーや大型車が憧れの的。加藤さんは有線リモコンでの戦車操作に加え、飛行機やヘリコプターを飛ばすほどのめり込んでいきました。
特に印象深いのが、お祖母様の通院の付き添いで帯広へ行った際のエピソードです。「かじのビル」の2階にあった模型店に必ず立ち寄り、最新のプラモデルを買ってもらうのが楽しみでした(模型店はなくなりましたが、ビルは今も帯広に残っています)。
帰りの国鉄(旧広尾線)の中、大きなプラモデルの箱を抱え、「早く作りたい!」と胸を高鳴らせていた明浩少年。その姿が目に浮かびます。
また、「自分で楽しむものは、自分で稼いだお金で」をモットーに、コツコツとアルバイトをして資金を貯めていました。
Uコン(ワイヤー制御)の飛行機や、セスナ機のラジコンを完成させては大空へと飛ばし、その操縦に熱中しました。
エルロン(機体の横傾き)は右スティック、ラダー(機首の向き)は左スティック……。機敏な指先の操作で機体を操る醍醐味は格別だったそうです。
加藤さんがこれほどまでに模型に没頭した背景には、力学や重力、宇宙といった「物理学」への興味がありました。
そして何より、お父様の存在が大きく影響しています。
倉庫や配管など、あらゆるものを自作してしまうお父様の“モノづくり”へのこだわり。
「わからなければ、わかるまで試作し、多方面から情報を集める」という姿勢に、加藤さんはすっかり魅了されました。
その探究心は現在も健在です。今はパソコンの自作(組み立て)に夢中で、各パーツを厳選して独自のマシンを作り出すほど深入りしているとのことです。
加藤さん、この度は貴重なお時間をいただき、ありがとうございました。
「音(おと)を愛するブラバン少年が牛(うし)を愛するデイリーマンに」
当社の田中伸一代表には、学生時代の淡い想い出があります。
それは中学時代に始めたブラスバンド。
中学2年生から始めたそうです。
楽器はTUBA(チューバ)。
大きな楽器で大きな楽器で低音の金管楽器です。
相当の息使いが求められます。
管内ブラスバンドの指導で有名なH先生が大樹中学校に赴任されました。
先生は当時、A中学校に10年間教員として勤務、「A編成」でいつも上位の成績を上げる実績でした。
指導ではトップレベルの先生です。
熱血あるH先生の指導もとで、田中少年は一生懸命に練習したそうです。
4月から初めて半年後の9月。
初めての大会となった十勝地区大会にて、見事「B編成」金賞受賞。
チーム一丸で練習した成果が実り、メンバーみんなで喜びに浸りました。
成功体験はさらに続きます。
中学3年のときは、十勝地区代表として全道大会に出場。
場所は厚生年金会館(現在のニトリ文化ホール)にて。
「B編成」のステージで大樹中学校は最初の登場。
当時は北海道で一番の大きなコンサート会場。
豪華で張り詰めた雰囲気の中、一層の緊張感が走ったそうです。
そのような中でも、メンバー同士で鼓舞し合い、全員がベストなパフォーマンスを発揮できたそうです。
自由曲はバッハの「トッカータ」。
結果は見事に全道金賞受賞。
その結果発表でのH先生の驚きの様子はいまでも脳裏に焼き付いているそうです。
田中代表が中学生時代に体験し、いまでも想い出として残っている貴重な成功体験でした。
翌年は高校受験を迎える中で、2月にはアンサンブルコンサートを開催。
観客と感動を伴する一方、高校受験が目の前に迫っていました。
高校は江別の酪農学園機農高校に進学。
直前まで楽器演奏に力を入れていた田中少年に、この高校に決めた決定打は親戚関係にある大樹町の有名な酪農経営者からの説得だったそうです。
酪農系の高校進学に心が動いたそうです。
田中代表はいまでの仕事中にクラッシクを聞きながら仕事に勤しむとのことです。
